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2022.07.22 教育情報 英語教育コラム

【第14回】トランスランゲージングという考え方

“This is おいしや~!”

 これは私が高校生の時、アメリカ人の英語の先生のお子さんが、お菓子を手にして叫んだフレーズです。
周りにいた友だちと私は、一瞬「え?何?」と固まってしまいましたが、
「Yeah、こっち、おいしいね。」
という先生の言葉を聞いて、やっと意味がわかりました。

 「おいしい」という日本語の形容詞に、英語の “-er” という接尾辞がついて「よりおいしい」という比較級になっていたのです。
確かに「おいしや~」の「や~」の部分の音は、英語の響きでした。
バイリンガル話者が、「日本語と英語が混ざってしまうことがある」という現象を、初めて目の当たりにした経験でした。
“This is …” から始まる英語の文なので、文法的なルールは英語が支配しています。ただ「食べ物の味がよい、美味だ」という意味を表す部分で日本語の形容詞が浮かんだために、それを英語のルールで変化させ、正しい英語の語順の中に埋め込んでしまったと考えられます。これを「謝った表現である」と言うことの方が何だか間違っているような、不思議な感覚でした。

 

英語の指導場面では

 あれから長い年月が経ちましたが、今でもバイリンガルの子育てをされている同僚や知人に、「2つの言語が混ざることがあるか」と尋ねます。ほとんどの方が「ある」という答えに続いて、「でもあまり気にしないけどね」とおっしゃいます。「自然に直っていく」、「そのうち混ざらなくなる」のだそうです。

 その一方で、日本の英語指導場面を想像してみます。
 

ある学習者が、英語で食べ物についてやり取りをしている時に「おいしい」という英語が分からず、“This is おいしい.” と言ったとします。
この時、聞き手から、その学習者が伝えたかった「内容」を受けとめて、英語で “Yes, it’s delicious!” 「確かにそうですね(おいしいですね)」や、”Is it? I want to try it too.” 「そうですか(おいしいですか)!私も食べてみたいです」といった表現やジェスチャーによる反応が返ってくるでしょうか。
その前に、「『おいしい』って、英語で何と言うのかな?」とか、「それ日本語が混ざってじゃん!」といった指摘が、聞き手や指導者から入ってきそうです。

 もちろん、“This is おいしい.” は、相手が日本語の「おいしい」の意味を知らなければ意味が通じません。“This is kawaii [かわいい].” のように、英語の辞書にも載るようになった語とは異なります。
ある言語を習得する最終段階になったら、特別な意図がある場合や状況を除いて、あるいはコミュニケーションを行う相手によっては、母語など異なる言語が混ざった表現を使わないことが期待されるのかもしれません。ですが、学習初期でまだ使える語句や表現が限られている段階で、「意味のやり取り」や「内容」を重視した活動を行っている時には、英語に日本語が混ざることをもっと寛容に見てもよいのではと考えることがあります。

 もちろん、学習者が英語で表現したいのにできなかった語句などは、調べる時間を設けたり、指導者が提示したりしておくことで適時な学びとなります。その活動が意味内容と形式のどちらをどの程度重視しているかによって、対応を調整していくことが大切です。

「バイリンガル」と「トランスランゲージング」

 一般に、バイリンガル(二言語併用)という用語は、「2つの言語を、それぞれ独立した言語として使い分けることのできる」能力や状態を表します。例えば、バイリンガル話者は、場面や状況などに応じて、一つの言語からもう一方の言語へと、用いる言語を切り替えて(code-switching)、効果的に運用します。

 これに対し、「英語」や「日本語」といった言語の境界を超えて、2つの言語を巧みに使いながら、効果的に表現や理解、コミュニケーションが行われていることがあります。こうした事象は、「トランスランゲージング(translanguaging)」と呼ばれます。

 トランスランゲージングは、バイリンガルのように「言語をそれぞれ独立したものとして区別し、2つの言語を交互に切り替えながら、それぞれを効果的に用いる」ということではなく、「2つの言語の運用能力が組み合わさり、それが(その人の)言語を用いた活動すべてに効果的に機能する」ことを表します。

 日本語を母語とする子どもが英語を学習し、習得することは、決して「母語を捨て、英語に乗り換える」ことではありません。トランスランゲージの観点からすると、母語である日本語もその子どもの表現手段であり、これにさらに英語という手段が加わることで「さらに豊かに自分自身を表現できる言語能力になる」と考えることができます。

 学習者が、「英語や日本語という言語の区切りを超えて、自分の言語運用能力をフル活用しながら、表現したいことを伝えようとする」意識や態度を尊重する。つまり「英語で話すならば、それに日本語が混ざってはいけない」というのではなく、「最初は日本語で言う部分があったとしても、次第に英語に純化されていけばよい。むしろ自分が知っているあらゆる『ことば』を駆使して、伝えようとしていることを評価しよう」という余裕をもつことが大切です。言語が混ざる現象は、複数言語習得の過程で起こる「過渡期」、すなわち「経過的な側面」と言えるものであり、これを大切にしながら、「複数の言語を操る個」としての学習者の成長を促すことが、グローバルな時代に必要な言語教育の姿かもしれません。

英語教育全体として考える

 実際に学校現場で日々児童生徒の指導に向き合っておられる先生方からは、上で述べたことの意義は分かるけれど、観点別評価、特に「知識・技能」の観点に照らし合わせて「英語使用の適切さ」を見取る際に、英語表現に日本語が混ざってしまう現象をどう捉えるかが難しいというお話をよくお伺いします。本当にもっともなご指摘だと思います。理想と現実という言葉で片付けてしまうわけにはいかない、英語教育にとって重要な視点だとも感じます。今の子どもたちにとって、英語学習が単元や学期、学年、さらにはある特定の学校段階という短い期間で完結するものではなく、生涯に渡って続くものだと理解すれば、英語を含む言語学習の学習評価のあり方について、改めてしっかりと検討する必要があるのではないかと私は考えています。


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<執筆者:池田 周 (いけだ・ちか) 先生のPROFILE>
愛知県立大学外国語学部教授。英国Warwick大学博士課程修了。博士(英語教育・応用言語学)。小学校英語教育学会(JES)愛知支部理事。

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